2013年03月28日(木)

「主よ。私の口に見張りを置き、私のくちびるの戸を守ってください」詩篇141:3

               
舌を制御することは難しいと言っている。いや、誰にも出来ないことだと。更にじっとしていない悪であり、死の毒に満ちていると。舌は両刃の剣だ。人を傷つけ、殺し、神の御名を辱める。又、それは人を生かし、建て上げ、神を賛美し、神の栄光を現わす。その舌が御霊に支配され、導かれることは大切だ。まず、語る言葉は「真実」だろうか。噂であり、事実かどうか不明、単なる推測で語る言葉は無いだろうか。

そしてそれは、もし真実であっても、語る必要のある言葉だろうか。真実なら、何でもかんでも語ればよいのではない。語る必要の無い言葉がある。真実であっても、人を傷つける言葉は語ってはならない。御霊は意味もなく、人を傷つけることはされない。又、同時に、もし御霊が導かれるなら「あからさまに責めるのは、ひそかに愛するのにまさる。憎む者が口づけしてもてなすよりは、愛する者が傷つけるほうが真実である」ともあり、率直に忠告すべき場合がある。

その言葉は、人を建て上げるだろうか。有益だろうか。それとも自分の欲求不満、愚痴、いら立ちを人にぶつけて、人に負わせているだろうか。又、その言葉に偏見は無いだろうか。そして最も大切な事は、その言葉に愛があるだろうか。「・・愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じ」。「心に満ちていることを口が話す」口より以前に、心が御霊に支配されるよう祈ろう。舌が、神の恵みを語るために用いられる。
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口に出した後で、あの言葉で相手を不愉快にさせてしまったのではないだろうかと不安になる事がある。口に出す前によく心を吟味し、語る必要のある言葉かどうか、御霊の助けを受けて語りたい。