2013年04月27日(土)

「ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。それは 大きな報いをもたらすものなのです」ヘブル10:35



主は、アブラムに、子孫が天の星のようになると語って下さった。
彼は、その約束を信じていた。しかし、待てども、待てども、なか
なか実現しない。当時は、夫婦に子供が無い場合、奴隷により跡継
ぎを得ていた。自分たちはどんどん年をとって行く。忍耐ができな
かった。

それで、サライが、主が産めないようにしておられるのだから、女
奴隷によって子供を持とうと提案した。アブラムはサライからの申
し出であり、奴隷ハガルのもとに入った。しかし、この時アブラム
は祈らず、主の御心を求めなかった。

サラの言葉を受け入れ、自分の思いで行動してしまった。肉は、一
見良い考えに思え、万事うまく行くように思えるが、必ず大きな問
題を招く。妊娠したハガルは、子供のないサラを見下すようになり、
サライはハガルをいじめた。家庭内に不和と混乱が生じた。イシマ
エルは後々まで根深い問題を生じた。

その後、時を経て、アブラムの人間的な力が絶えた時に、イサクが
与えられた。約束のものを得るために必要なのは忍耐だ。肉の知恵、
肉の力で動かずに、主が動かれる時をじっと待つことが忍耐だ。必
ず「神の時」に、みわざは成される。

忍耐は簡単には身につかない。教えだけでは身につかない。主は待
つことを通し、私たちに実際に忍耐を培って下さる。神の御心を行
なって、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐だ。

・・・・・・・・・・・・
主を待たずに、自分の思いで行動すると、イシマエルを産み出して
しまう。主を待つという過程を通らずして、忍耐が培われようがな
い。もし今、待つ時であれば、肉で動かず、主を信じてじっと待と
う。主が動かれる。