2013年07月28日(日)

「あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる」箴言3:6

信仰生活の中で、様々な試練に会う。そんな時、不平不満でいっぱ
いになるだろうか。「神様信じているのに、何でこんなひどい事に
なるのか」「神が愛なら、どうしてこんな状況を許されるのか」
「何で、何で」・・。

試練は主から来るが、試練の時は、同時にサタンも強く働く。機会
を捕らえ、主から離そうとし、不信仰に陥らせようとする、その事
をわきまえていよう。「神が愛ならこんなはずはない、愛されてな
どいない」とささやいてくるサタンに耳を貸してはならない。

「行く所どこにおいても」どんな状況であろうと、「主を認めよ」、
そこに主を認めて行くこと、それは信仰だ。その時にサタンの足場
を崩してしまう。ヨセフは、波瀾万丈の人生だった。兄たちの妬み
で、隊商に売られエジプトへ。

しかしそこで、主人から好意と信任受け、全財産を任されるほどに。
しかし、又もや順境から一転、無実の罪で、奴隷以下の囚人に。し
かし、厳しい逆境から今度は総理大臣に。ヨセフは父親から離され、
頼るものが何もない中で、主だけが頼りで、主に拠りすがり、信仰
が培われて行ったのではないか。

アップの時もダウンの時も、良い時も悪い時も、苦しみの時、困難
の時も、そこに主を認めて行った。辛く苦しい砕きの御手も認め、
だからこそヨセフは大いに祝福され、豊かな実を結んで行った。

「どこにおいても、主を認めよ」、主を認めて委ねて行く時、状況
にかかわらず、平安を与えて導いて下さる。目の前の出来事に、主
を認めよう。

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信仰者にとって、偶然は無く、不運は無く、サタンにほんろうされ
ているのではない。主が何かを教えたくて、目の前に一つ一つの事
柄や状況を置いておられる。主を認め行く時、主を新たに知り、成
長へと導かれる。