2013年08月28日(水)

「そして見よ。主が彼のかたわらに立っておられた。そして仰せられた『・・わたしはあなたが横たわっているこの地を、あなたとあなたの子孫に与える・・』」創世記28:13 




父イサクと兄エサウを欺いたヤコブは、激怒した兄エサウの殺意に、家におれなくなり、叔父ラバンのもとへ向かうことになる。一人で家を出て、遠く野山を旅した。しんしんと孤独感、寂寥感に襲われたことだろう。歩き続けて、日が沈み、野で一夜を明かすことにした。石ころを枕にして、その場で横になった。ヘトヘトで、心身疲労こんぱいであった事だろう。家族と離れ、誰もいない所で、一人っきりの野宿、地面は固く、惨めで、不安や恐れもあったろう。

うとうとし夢を見た。はしごが天と地の間に立てられ、御使いが上り下りしていた。そして、主がヤコブのかたわらに立っておられた。そして「横たわっているこの地を、あなたとあなたの子孫に与える。子孫は地のちりのように多くなり・・」「わたしはあなたと共にあり、どこに行ってもあなたを守り、この地に連れ戻そう」と。眠りからさめて「まことに主がこの所におられるのに、それを知らなかった」と言った。

ヤコブは孤独で、先行き不安で、恐れのどん底にあった、まさにその時に、全能の主に出会った。私たちも、真に主に出会うのは、どうにもならない、行き詰まった、人生のどん底の時だ。実は、人生の行き詰まりは、大きな祝福だ。砕かれた心が主に出会い「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました」と言うことができる。
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見るべきなのは、変わらず私たちのかたわらに立っておられる主だ。それは困難な逆境でも順境の時でも変わらない。自力の限界を知り状況を見ず主を見あげる時すでに祝福の中にいる。