2013年11月27日(水)

「見なさい。自分の目には梁があるではありませんか。まず自分の目から梁を取りのけなさい。そうすれば、はっきり見えて、兄弟の目からもちりを取り除くことができます」マタイ7:4



 対人関係において、問題が起きた時、確かに相手に非があったかも知れない。しかし、「あなたが悪い。あなたの間違いだ」と相手のちりを除こうとすると、問題は大きくなり、悪化し泥沼になる。経験ないだろうか。相手のちりを見つけた時にこそ、まずこちらがへりくだることだ。自分をよく吟味し、自分にも間違いがなかったか、反省すべき点がないか、よくよく御前に静まって、御霊に照らされる事が大切だ。

「自分の目にも梁がある」と主は言われている。「誰でも、立派でもない自分を何か立派でもあるかのように思うなら、自分を欺いている、おのおの自分の行ないをよく調べてみなさい」。自分を省みて、悔い改めるべき事は悔い改め、「まず自分の目から梁を取りのけ」るなら、その時はっきり見えるようになる。そして、へりくだって、愛によって、相手のちりを取り除く助けができる。

目のようなデリケイトな箇所は、触れようとした瞬間、相手は閉じる。不用意に祈りもなしに、こちらの霊的整えもなしにできる事ではない。梁は大きな材木、ちりはほんの微少のほこりだ。まず批判的な心自体が大きな材木だ。相手が悪いから裁くと思っているが、実は自分の思い通りにならないから裁いているのではないか。

愛とへりくだりが無ければ、必ず泥沼になる。まず自分を御前で御霊に探って頂こう。そうする時、整えられ、相手のちりを除くために、主によって用いられる。
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人を裁く思いが来る時は、自分なりに理由もあり被害者意識もある。そこで自分は正しい、に立ってしまいがちになる。主の前によく祈り、感情をまず主に預けよう。