2013年12月28日(土)

「人を恐れるとわなにかかる。しかし、主に信頼する者は守られる」箴言29:25


ある人の証しだ。職場の付き合いで悩んだ。飲み会が頻繁にあるのだ。自分は飲まないし、付き合い自体も苦手で、苦痛でたまらず、嫌な思いをし、しかし仕方なくズルズルと参加していた。参加せざるを得ない雰囲気で、渋々付き合っていた。

連日のように深夜まで続き、心身共に辛くて仕方が無かった。もっと他の事に時間を使いたい。それなら断ればと思うが、断る事ができないのが自分の弱さだった。「ノー」が言えない。人にどう思われるかが恐い。

ある日、祈りの中で、そんなズルズルベッタリの中途半端な自分の姿が見せられた。人を恐れて、主に従っていない事に気づかされた。人の目ばかりが気になり、神も信仰も飛んでしまっていた。ただただ、人におもねって、人に気に入られようと振る舞っている自分に気づかされた。まるで自分が無い。

「人を恐れるとわなにかかる。しかし、主に信頼する者は守られる」。「主に信頼する者は守られる」との言葉に励まされ、現状をことごとく主に告げ、自分の気持ちも主に告げて、そして自分を明け渡して助けを求めた。すると心に平安が来た。

あれほど人が気になって仕方が無かったのに、心が変えられて、自分は自分と思えるようになった。そして、断れるようになった。尚且つ仕事も、対人関係も、主により守られた。日常の中で、「ノー」が言えない自分が変えられた事が、何よりも神のみわざであった。
主に明け渡して頼る時、恵みは十分で「弱さ」の中にこそ、御力を現して下さる。弱さをもったそのままで、主のもとに行こう。

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「ノー」が言えない事に、人にどう見られるか、どう思われるかと、人を恐れる弱さがある。しかし、人を見ている時は、主を見ていない。主に向いていない。主に向くことが解決だ。「人が気になります」と祈ろう。