2014年06月27日(金) 「わたしは光として世に来ました。わたしを信じる者が、だれもや みの中にとどまることのないためです」ヨハネ12:46
「わたしは光として世に来ました。わたしを信じる者が、だれもや みの中にとどまることのないためです」ヨハネ12:46
光は、私たちの心の中を照らし出す。その時、心の中には、真っ暗 な闇があることがわかる。闇の中で、闇は、闇であることがわから ない。光があって初めて、闇が認識できる。誰にも言えない心の内 にある悩み、人には絶対に知られたくない事柄、心の中の罪、妬み や憎しみ、触れられたくない過去・・それらを人に知られなくないの で、隠すし、自分自身も見たくない。 見たくないので、目を閉じている、そのため、普段は見えない。し かし、それらは何かの時に噴出し、爆発する。心に闇があるなら、 喜びをもって生きることができない。普段、何かの度に心がザラつ き、見え隠れしているのだが、気に留めないので気づかないかも知 れない。 主はその闇を示し、取り扱い、心を新たにして下さる。触れたくな い、知られたくない事柄にはそこに痛みがある。それが光に照らさ れると苦痛を伴う。自分の醜い、汚れだ。 ある人は、親友がほめられたり、成果を上げた時に、何か心にザラ ッとするものを感じていた。しかし、親友であり、普段仲良くして いて、気づかなかった。ある時、相手が大変賞賛された時に、心に はっきり感じ、その日主の御前に祈った。 御霊に心を照らし出された時、相手は実はライバルで、競争相手で あった事、最初から妬んでいたが、それをプライドが決して認めた くなかったこと・・がわかった。主に心から悔い改め、赦されて、心 がすっきりし、すっかり平安にされた。喜びが来た。その光は、同 時に暖かく包み、いやしてくれる。 ・・・・・・・・・・・ 光があるので、自らの罪がわかる。罪がわかることは、光がある 証拠で、感謝なことだ。闇の中で、罪はわからない。光に指し示さ れた罪は、悔い改めることができる。赦されて赦されて、どんな時 も平安の中を生きて行ける。