2014年09月27日(土)

「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」伝道3:11


信仰生活の中で、「神の時」ということを学ばせられる。「時」は
重要だ。神の時を待てないで、自分の思いと力で突き進んでしまい、
散々な結果に終わる経験をした事があるだろうか。すべての事柄に
は「神の時」がある。「天の下では、何事にも定まった時期があり、
すべての営みには時がある」。神の時が満ちなければ、どんなに焦
っても、気が急いても、事態は全く動かない。

そして、神の時が来たなら、全く動かなかった物事が、動いて行く。
門が開かれ、どんどん事が進み、実現して行く。何十年と動かなか
った事態が、すっーと成就する。驚くばかりだ。そうであれば、私
たちにとって大切な事は、「神の時を待つ」ことではないだろうか。

神の時でなければ動かないし、時が満ちれば、ひとりで動いて行く。
思い煩うことなく、心を騒がせることなく、神の時を待つことを祈
ってゆこう。アブラハムは、子孫を与えるとの神の言葉を受けたが、
待てども待てども、なかなか実現しなかった。そのため、自分の思
いと力で動いてしまった。

サラの申し出もあったことから、女奴隷ハガルにより、イシマエル
をもうけた。しかし、100歳になって、もはや彼の肉体は死んだも
同然となった時に、何の力も無くなった時に、約束の子イサクが与
えられた。神には深いご計画がある。今、必要な事は、神の時を待
つことだろうか。

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長い間、微動だにしなかった事態が、「神の時」が来ると、事が動
いて行くのは驚くばかりだ。神が動かれない限り、事は起こらない。
そうであれば、ただただ神を信頼して、待ち望んでいたい。そして
その神の時は「美しい」。感動がある。