2014年11月27日(木)

「イスラエル人は、旅路にある間、いつも雲が幕屋から上ったときに旅立った。雲が上らないと、上る日まで、旅立たなかった」出エジプト40:36




イスラエルの民は荒野にある間、雲の柱、火の柱をいつも見ていた。
進むにも、とどまるにも、常に指示があり、雲と火により明確な導
きがあった。いつも主を見、その導きを見ていた。「雲が上らない
と、上る日まで、旅立たなかった」とあり、主が止まられる所で、
しっかりとどまった。

私たちはどうだろう。止まる事が苦痛で、どんどん自分で旅を続け
たいと思ってしまう。先に進みたいと思う。しかし、主がストップ
させられている時は、主と共にとどまろう。そんな時こそが大切で、
その所で主は様々な事を教えて下さる。無駄にとどめておられるの
ではない。御心があり、その中で学べる事がある。

今、ストップがかかっていたら、じっと待とう。待つべき時には、
自分で動かない事が大切だ。動き出したい誘惑と衝動が来るが、じ
っととどまろう。必ず主の時に、御心の時に、事は動いて行く。
ある人がなかなか道が開かれず、待ちくたびれて、自分が進みたい
道に、合致する御言葉を勝手に取って来て、御心だと思い込もうと
した。

しかし、そんな事は、心の深い所に平安無く確信も無かった。そん
な自分を明け渡し、右でも左でも御心のままにと、自分の好みでな
く、ただ御心を示されるよう祈った。そしてどんなに時がかかろう
と、御言葉が与えられるまで、静まって待とうと決心した。その時
に初めて、心の平安を経験した。
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雲の柱、火の柱をいつも見ていよう。留まるべきか動くべきか。は
っきりとした見極めが与えられるよう祈るためにも、時が必要だ。
歩みだす先にはいつも主の柱があるように。