2014年12月28日(日)

「ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。それは大きな報いをもたらすものなのです。あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です」ヘブル10:35



自らの不信仰に気づくのはいつだろう。不思議だが、信じようとし
て行く時に、不信仰に気づかせられる。信じない時に、不信仰に気
づく事はない。経済的困窮の時に、「キリスト・イエスにあるご自
身の栄光の富をもって・・必要をすべて満たして下さいます」との
神の約束を信じようとする。その時に、すんなり信じられない事に
気づく。

そうは言っても、大丈夫なのか。本当に満たして下さるのか。与え
られなかったらどうしようと、恐れに襲われ、不安でたまらず、幾
ら信じようとしても、どうしても信じきれない自分に気づく。その
時に初めて、自らの内にある不信仰を知る。そして、その不信仰を
悔い改めることができる。

この「不信仰」こそが、自分と主との間の妨げになっている事を知
る。不信仰を悔い改めた時に、信仰が与えられる。そして主を信頼
して行く時に、心は深い安堵で満たされる。それゆえ、平安を妨げ
ている「不信仰」にどうしても気づく必要がある。御霊が気づかせ
て下さる。

目には全く見えない事を信じて行こうとする時、そこに戦いが生じ
る。肉の目には見えないので、この状況がどうにかなるなどと、ど
うしても思えない、信じることができない。それをありのまま主に
告げて行く時に、信仰の忍耐を与えて下さる。主によって信じて行
ける。
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何もしなければ失敗もないが、主を深く知ることもない。御心を行
おうとすると疑いや不安に揺らぎ、すぐに主から目が離されて行く。
祈りを通して御約束に立ち返り、絶えず来る不信仰に気づいていた
い。