2015年01月28日(水) 「この女は、自分にできることをしたのです。埋葬の用意にと、わたしのからだに、前もって油を塗ってくれたのです」マルコ14:8
「この女は、自分にできることをしたのです。埋葬の用意にと、わたしのからだに、前もって油を塗ってくれたのです」マルコ14:8
「埋葬の用意にと」と主が言われたように、マリヤは、主がこれか ら十字架にかかられる事を、ただ一人悟っていた。このエルサレム 入城が主の最後の旅であることを理解していた。主のために、自分 の出来る精一杯の事をしたいと思った。非常に高価な香油を惜しげ もなく注ぎ出した。 「300デナリ以上に売れて」300万円の価値と思われる。弟子たちは 全く何もわかっておらず、「貧乏な人たちに施しができた」と、 「むだにした」と、マリヤを責めた。しかし主は「マリヤはわたし の葬りの日のために、 それを取っておこうとしていたのです」と、 マリヤをかばわれた。「取っておいた」香油を今まで少しづつ蓄え ていた。マリヤの主への愛だ。 献げ物は主への愛の表われだ。今、自分に出来る事をすれば良い。 自分になしうる感謝を精一杯に表わせばよい。私達はよく思う。も っとお金があれば献げられるのに。お金が無くてと。今は忙しいか ら、余裕が出来たら時間を献げよう。状況と環境が変われば、もっ と主のために労力を献げられるのだが・・。しかし、そのようにな ったとしても献げない。今、「自分にできることを」すればよい。 弟子たちさえ、主の十字架をわかっていたなかったのに、なぜマリ ヤは悟れたのだろう。「主の足もとにすわって、みことばを聞き入 っていた」。じっと御言葉に耳を傾けていたからこそ、悟れた。そ してそれは今から苦難に向かう主を、どんなにお慰めした事だろ ------------- 誰かが献げる大きなものでなく、小さくとも私が献げるものは必ず ある。自分にできることは何だろう。前もって主のためにとは、い つも主のために、の姿勢でなければできないことだ。