2002年05月28日(火)

『陶器師は、粘土で製作中の器を自分の手でこわし、再びそれを陶器師自身の気に入ったほかの器に作り替えた』(エレミヤ18:4)



 ある宣教師が海外宣教を志して準備
を整えていた。ところが、支援の宣教
献金が満たされず、道が閉ざされてし
まった。失望落胆に突き落とされ、暗
い思い心で教会の集会に出ていた。
するとある高齢の婦人が「あなたのみ
こころが私の人生の上に成し遂げられ
ますように、どんな事でも受け入れま
す」と祈った。
その時その宣教師は突然心に光を見出
した。陶器師である神を思い、陶器で
ある自分を思った。自分自身を自分の
人生を陶器師である神のみ心のままに
もっと造り変えられる必要がある事が
わかった。神の定めの時が来て、つい
に海外のあらゆるところへ宣教に出か
けるために用いられた。私達はもっと
もっと造りかえられる必要がある。
そのために自分自身を余す所なく神に
明け渡しているか。神は委ねられた器
をみこころの通り造りかえられる。