2015年12月28日(月)

「もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません・・自分の罪を言い表わすなら・・その罪を赦し」Tヨハネ1:8




ある人が、どうしても嫌いで、どうやっても愛せない人がいた。
しかし憎しみには、とがめが来るし、罪意識にさいなまれる。平安
は無く、心が苦しい。その罪責感から逃れるために、反対に相手に
親切にしようと頑張った。憎しみを隠し、ふたをし、罪責感から逃
れたいがために必死だった。何とか礼儀正しく接し、愛の行ないを
しようと頑張った。

しかし相手にそうしようとすればするほど、心は憎しみといら立ち、
どうにもならなかった。相手が悪く言われている所では、しっかり
と心の中で同意して、すっきりするのであった。そして、溜まった
ストレスにより、陰では悪口を言ってしまっていた。罪の性質であ
り、愛など、ほど遠い結果となっていた。

この間違いは、まず見える所によって、行ないによって罪意識を無
くそうとした事だ。良い行ないでチャラにしたい。心の内の敵対心、
憎しみを認めないで、それを闇に封じ、隠し、無い事にしてしまう。
そうではなく、憎しみを光のもとに出し、憎んでいますと主の前に
認める事だ。その時、それはすでに光の中だ。

認めて告白する時、赦され、そして必ず変えられて行く。大切なの
は、良い行ないでなく、罪を認め、告白し、悔い改める事だ。主の
言葉通りに、従って行く時、そこに御霊が働き、みわざが成されて
行く。自分の力ではなく、御霊の力が働く。
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罪はなかなか認められない。罪などないと思いたいが罪は常に身近
にある。示しも悔い改めも全て主の導きで、自分からはできない。
御霊の示しが与えられたなら、すぐ主の元に行こう。