2016年02月26日(金)

「天では、あなたのほかに、だれを持つことができましょう。地上では、あなたのほかに私はだれをも望みません」詩篇73:25






詩篇記者は、悪者が栄えるのを見て、落ち込んだ。彼らは楽しそう
で、豊かで肥え太っていて、何の苦しみもなさそうだ。悪者は安ら
かで、富を増している。それに引きかえ、信仰者である自分は惨め
で、苦しみばかりで、何のよい事もない。この足はたわみそうで、
歩みは滑るばかりだ。どうして神を信じない者が栄えるのかと。不
満で一杯だ。

私たちもどうだろう。世の人々の方が幸せそうに見えるだろうか。
罪に苦しまなくても良いし、好きなように生きて快適そうだ。だが、
その詩編記者は、神の聖所に入り、光が与えられた。実は彼の不満
や、妬み、愚痴や、様々な悩みの原因は、神の近くにいなかったこ
とによると悟ったのだ。

真の問題は、様々な事柄や状況ではなく、自分と神との関係だった。
それが信仰にとって根本的なことだ。私たちも同様だ。愚痴や不平
で一杯になる時、イライラ状態の時、本当の問題はその状況でなく、
自分と神との関係だ。神視点になく、神から離れているから、平安
無く、喜び無く、心が荒んでイライラしている。

それに反して、神と親しい交わりの中にいる時、状況がどんなに大
嵐であろうと、心は喜びと平安に守られる。心に余裕がある。主が
波風逆巻く小舟の中で、平安に熟睡しておられたように。神の近く
にいる事が幸せであり、その時、問題が問題でなくなる。今、神と
の関係はどうだろう。
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神との交わりの中にいれば、人が試練と呼ぶ中でも心はすっぽりと
守られる。今、神の前にしっかりと立っているだろうか。平安が無
いなら今の自分の状態を点検してみよう。