2016年03月28日(月)

「激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水でいっぱいになった。 ところがイエスだけは、とものほうで、枕をして眠っておられた」 マルコ4:27



よく経験するだろうか。御心を祈り求め、示されたと確信し、その
御心へと進む。しかし、逆風に次ぐ逆風で、四苦八苦する。一体ど
うなっているのかと、驚きあやしむ。まず思うのは、「御心では無
かったのか?」「御心を誤ったのだろうか?」しかし振り返ると、
よく祈り、御心確信して進んだはず・・。

御心なら順調のはず、すべてがスムーズに進むはずとの思いがある。
御心をそれるなら、ギクシャクしてもわかるが、御心に従っている
のに「何で?」「何で?」となる。しかし、主の示しに従って、舟
をこいだ弟子たちが大嵐に会ったように、御心に従う中で、試練は
臨む。主は愛する者を訓練され、練られ、成長へと導かれる。御心
に従う中で、固い自我が砕かれて行く。

ある人は、よく祈り、祈りに祈って導かれた進路に進んだ。しかし、
待ち受けていた辛い対人関係に、涙、涙の日々だった。こんなに苦
しい、御心ではなかったのか?間違ったのか?しかし、祈って与え
られた先・・。ことごとく思いを祈る中で、自我が砕かれるため、主
に拠り頼むため、一つ一つの苦しみも、さじ加減ピッタリに自分の
ために備えられた道だと、教えられて行った。

涙の絶えない苦しい歳月だったが、乗り越えた時に、心から感謝で
きた。これが無ければ、自分は何もわからず、高慢なままの信仰者
であったと。今は苦しいが、後の日に、苦しみに会ったことは、し
あわせでしたと、心から言えるようにされる。

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御心を歩む中で、大嵐が臨む。肉は、問題の無いこと、平穏無事が
善との根深い培われた価値観がある。それなら平穏な時にも、恐れ
がつきまとう。嵐を通ることで、状況がどうであれ、主が共におら
れることが善、との価値観に少しづつ変えられて行く。