2016年07月28日(木) 「願っても受けられないのは、自分の快楽のために使おうとして、悪い動機で願うからです」ヤコブ4:3
「願っても受けられないのは、自分の快楽のために使おうとして、悪い動機で願うからです」ヤコブ4:3
争いの原因は、外側にあるのでなく、私たちの内側の欲望にあると 言っている。肉の欲望はとどまるところを知らない。貪欲は底なし だ。どこまで行っても際限なく、決して満たされることがない。欲 や、感情に振り回される結果、道をそれて行ってしまう。争って、 戦って、自分の力で手に入れようとする。そこに神がなく、祈りが 無い。 そして「あなたがたのものにならないのは、願わないから」と。祈 らないからだと言われる。又、祈りも自分の欲望のために、悪い動 機で願うからだと。祈りとは、私たちの欲する人生を、神に与えて もらうためのものではない。自分のために、神を動かすのではない。 真の祈りは、私たちの心を、神の御心に合わせて行くためのものだ。 祈りの中で、動機が探られて行く。ある人が進路を、親に反対され た。自分では御心と信じていた。どうしても進みたかった。御心を 行なおうとしているのに何で?何だか平安もなく、そんな時、祈り の中で示された。御心に進む事を妨害される事に、反抗している自 分に。自我を示され、自分が成し遂げようとしている事に気づかさ れた。 悔い改めて、今一度、進路を献げて祈った。もう「自分が」「自分 が」でなく、神に委ねることができた。すると、しばらく後に、神 が道を開いて下さって、親の理解を得て、御心を行なうことができ た。動機も聖めて、祈りを矯正しつつ、正しく御心へと導いて下さ る。 -------------- 自分の計画に、自分にとって都合の良い時と都合の良い結果をしっ かり握って祈っている時がある。祈りも力なく平安も無いので、な かなか決まらない。動機が問題だと導かれていたのだ。