2016年08月28日(日) 「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには 時がある」伝道3:1
「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには 時がある」伝道3:1
万事において「神の時」がある。祈りが答えられる最善の時があり、 私たちのなすわざにも、最善の時がある。神の御心にかなった、神 が動かれる「時」がある。そうであれば、信仰人生において、神の 時を待つことが非常に重要だ。待つことも学びだ。私たちは、なか なか待てない。じっと待つのが苦手だ。行動している方が安心でき る。 ただ待つことは、不安や焦りとの戦いだ。アブラハムも待てないで、 失敗してしまった。神の約束を待てず、自分の力で、肉で、動いて しまい、イシマエルを生み出してしまった。エリメレクとナオミも、 飢饉の時に、主を待つことをせずに、家族の幸せを求めて、偶像の 地モアブに移住してしまった。 しかし多くの苦しみを刈り取った。今、待つことが御心なら、「あ なたがたの確信を投げ捨ててはならない。それは大きな報いをもた らす」「神のみこころを行なって、約束のものを手に入れるために 必要なのは忍耐」だ。 そして反対に、神の時が来たなら、即、行動することが大切だ。ア ブラハムがイサクを献げるよう言われた時に、「翌朝早く」すぐに 行動した。ぐずぐずしていると、肉の思いに妨げられ、御心が行な えなくなってしまう。今、ぐずぐずしているなら、今すぐ踏み出そ う。 又、神のなさることは、「すべて」時にかなって美しい。それは正 しいだけでなく、「美しい」と。神が、時にかなってなさる事には、 そこに感動がある。 ・・・・・・・・・・・ 主のなさる事はいつも時がピッタリだ。遅くも早くもなく、ジャス トタイミングだ。自分で動けば、主がされた事がわからない。神を 仰ぎ、時を待つ時に、何より自分でなく、主がなされた事がわかる。 そこに信仰があり、喜びがあり、恵みがあり、そして主に栄光を帰 して行く。