2016年11月27日(日)

「あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです」マタイ 6:21



「自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい」とあるが、自分に
とって大切なもの、価値あるもの、これが無くては生きて行けない、
それが、その人の「宝」だ。それは金品とは限らない。ある人にと
れば、名誉や社会的地位、才能や仕事、趣味、又、子供や愛する人
かも知れない。プライドだったりする。自分が非常に執着している
もの。しかしそれは死後、持って行くことができない。

「私たちは何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持って
出ることもできない」。その前の箇所のパリサイ人は、人々の賞賛
を得るために、人に見せるために人前で、自分の力で善行をしてい
た。人によく見られるがためであり、天は全くなく、地上に宝を貯
えるためだった。それをやめなさいとある。

そして「自分の宝は天にたくわえよ」と。「天に宝をたくわえる」
とは、神を信じ、自分の力でなく、神の恵みによって生きることだ。
それは日々、神の喜ばれる事、神の御心を尋ね求めて、御心を行な
って生きることであり、今日の日を天に繋げて生きることだ。「目
が健全なら全身は明るい」、目が健全とは、二心でなく、あれもこ
れもと目移りせず、一心に一つのものを、天を見つめること。

もし目が濁っていれば、あちこちと目移りし、天には向かず、全身
は暗いままと。地で執着するものがあれば、目が天に向いて行かな
い。自分の宝は何だろう。

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私たちが宝とするものに、そこに心があると言っている。自分の宝
は何で、心はどこを向いているのだろう。有形無形の拠り所となっ
ているもの、依存しているもの・・御霊に心を探っていただこう。取
り扱い、目が天に向くようにして下さる。