2016年12月28日(水)

「しかしダビデは言った『殺してはならない。主に油注がれた方に手を下して、だれが無罪でおられよう』」Tサムエル26:9


ダビデは、自分の主君サウルに命をつけ狙われていた。相手は王で
あり、全権を持ち、全兵をどのようにも動かせる。そんな中をダビ
デはひたすら逃げ回っていた。そんな折り、サウルがダビデ所在の
情報を受け、追った。それを知ったダビデは、夜にそのサウルの陣
営に向かった。

するとサウルと側近たちは皆、熟睡していた。今こそ反撃の格好の
チャンスだ。部下が、神が敵を渡されたのだから、殺させて下さい
と言った。しかしダビデは決して許さなかった。その理由は、サウ
ルが「主に油を注がれた王」であったから。だが、同時にダビデ殺
害を狙うサウルの行動は、主の御心に逆らうものである事も知って
いた。

その事について「主は、必ず彼を打たれる」と信じていたので、裁
きを主に委ねた。決して自分で復讐しようとはしなかった。そのし
るしに、サウルの枕元にある槍と水差しを持ち帰った。「主が彼ら
を深い眠りに陥れられた」ので、皆、眠りこけて全く気づかなかっ
た。すべての事は主の主権の下にあり、主は眠りすら支配される。

ダビデは、サウルと自分の関係性でなく、主と自分の関係で、事態
を見ていた。もし個人的利害関係で見ていたら、この好機を捕らえ
ないわけがない。ダビデとサウルの違いは、ダビデが主の御心を行
なう者であり、サウルは自分の心を行なう者であった。主と自分の
関係を培って行く時、どんな状況の中でも、主から力を受けて前進
して行ける。
------------
人間的に見ながら御心を行おうとすると考えが分かれて何をすれば
良いのか解らなくなってしまう。すべての真実なこと、正しいこと、
御心は何かを主に聞きながら主と共に対処していこう。