2017年01月28日(土)

「ただ、私としては、この最後の人にも、あなたと同じだけ上げた いのです」マタイ20:14


天の御国は、ぶどう園で働く労務者を雇いに出る主人のようだと言
っている。主人は6時、9時、12時、3時、5時と雇いに出た。
早朝6時の者には、1デナリの契約をし、9時〜3時の者には相当
のものという契約をした。5時の者も雇った。「なぜ、働かないの
か?」と聞くと、怠けていたのでなく、誰も雇ってくれないと。

そして5時の者から順番に賃金が支払われた。全員が1デナリであ
った。1デナリは当時の1日分の給料だ。早朝の者は、5時の者が
1デナリなら自分たちは12デナリと算段し、期待したが1デナリ
だったので、期待は落胆、そして怒りに変わった。不平等、不公平
だと。しかし1デナリの契約はきちんと履行されている。正しく行
われている。

1日の必要分が1デナリで、主人は5時の者にも必要分を与えてや
りたかった。ここは、天の御国の事を言っている。天の御国は、こ
の世の原理と全く異なる世界だと言っている。恵みとあわれみが支
配する世界だ。あわれみが満ち満ちている。

5時の者は、体力無さそうであったのかも知れない。家族に今日の
糧を持って帰れない、不安、焦り、失望、主人はそれをあわれみ1
デナリが与えられた。どんなに大きな感謝と喜びに溢れたろう。一
方早朝の者は怒りと不満で一杯だ。この世では先の者は先、後の者
は後だが、神の世界では、このように後の者が先に、喜びと平安に
満ち満ちる。

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これは現実には有り得ず、経験値にも無く、この世の価値観では、
天の御国の価値観は理解不能だ。この世では、労働に見合った報酬
を受ける。しかし神の国は、愛、あわれみによって動かされている。
その愛とあわれみが自分にも注がれているとは何と嬉しい事だろう。