2017年02月25日(土) 「満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です」Tテ モテ6:5
「満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です」Tテ モテ6:5
「敬虔を利得の手段」とするとは、神様のためにする行ないを、人 に評価され賞賛を得るためにすることだ。人からほめられたいがた めに、良い行ないをする。人から認められたい。反対に「満ち足り る心を伴う敬虔」とは、心が御霊によって満ち足りているので、人 によって満たされる必要がない。 私たちの心は、何によって満たされているだろう。人からの賞賛や 評価で心を満たそうとすると、絶え間のない紛争が生じると言って いる。つまり、人の目を気にし、自分が少しでも高く評価されよう とするので、そこに人との比較が入り込む。 自分が低められたと感じると、相手を許せずに、憎しみを抱く事に なる。人からどう見られているかが、すべてなので、気になって仕 方がなく、人に対して疑心暗鬼になってしまう。評価されているの か、いないのか、不安でたまらない。心に平安が無く、不安定で、 揺れ動く。そしてプライドが高いので、些細な事で傷つく。 自分が認められない原因を周囲のせいにする。しかし、そこには何 の解決もなく、満たされない思いばかりが残る。満ち足りる心は、 聖霊に満たされる事から来る。「自分、自分」に問題があり、自己 中心を認め、明け渡して行く時、主のみわざが起きる。御霊によっ て心が支配されて行く。その時、人にも、状況にも関係無く、自分 の心には、何ものにも代えられない満足と平安がある。 ・・・・・・・・・・・ 満ち足りる心は、御霊に導かれる事からのみ来る。人やこの世のも ので、心満たそうとすると、満たされるどころか、更に心渇く。神 のかたちに造られた心を、主だけが満たす事ができる。隅々まで奥 底まで、平安に満たして下さる。主に求めよう。