2017年06月27日(火)

「トマスは答えてイエスに言った。『私の主。私の神。』」ヨハネ20:28 


主が十字架で死なれ、葬られた後、弟子たちは家に隠れていた。そ
の家に、よみがえりの主が来て、ご自身を現わされた。「平安があ
なたがたにあるように」と。「弟子たちは、主を見て喜んだ」。
主を見て、どんなに興奮し、嬉しかった事だろう。平安と喜びに満
ち溢れた。しかし、トマスだけが、その場にいなかった。

「自分だけがなぜ?」「自分のいない時に?」自分が不在だったわ
けだが、自分だけが会えなかった事に、不満だったようだ。「私た
ちは主を見た」と喜ぶ弟子たちに「その手に釘の跡を見、私の指を
釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなけ
れば、決して信じない」と言った。

そして八日後、トマスが一緒にいる、弟子たちの部屋に、主は再び
ご自身を現された。そのトマスに「あなたの指をここにつけて、わ
たしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさ
い」と、トマスが言ったそのままを言われた。トマスの「決して信
じない」に、「信じない者にならないで、信じる者になりなさい」
と応答された。

トマスの心の内の、何もかもをご存じである事に驚き、受け入れ、
受け止めて下さっている主の愛に触れた。自分で見なければ、決し
て信じないと言った、そんな自分のために、個人的に向き合って下
さった。その主は、トマスのために、現れて下さったかの状況だ。
主の愛に、彼は、指を釘後やわきに差し入れずに、「私の」主、
「私の」神と、最高の信仰告白をした。
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「私の主」との告白に学ばされる。皆と一緒にいればいつも主は近
く思えても一人になればどうだろう。信仰は常に個人的で、主と私
の深く豊な関わりだ。皆の主であると同時に私の主、私の神だ。