2017年10月28日(土)

「バビロンに七十年の満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あ なたがたにわたしの幸いな約束を果たして、あなたがたをこの所に 帰らせる」エレミヤ29:10


バビロン捕囚は、ユダヤの民にとり、国を追われ、敵地に捕らえら
れて行く事であり、絶望のどん底であり、最悪の事態であった。状
況だけを見るなら、どんなに悲惨な事態だったろう。それは艱難で
あり悲しみであり嘆きであった。しかし、結果的に見れば、それは
将来と平安と希望であった。

なぜならユダヤの民は、捕囚の厳しい試練により、悔い改めて神に
立ち返る事ができたからだ。辛い苦しい試練であったが、信仰を回
復する事ができた。エレミヤの預言通り、70年後にエルサレムに
帰還する事になる。神の大奇跡が成し遂げられる。

「あなたがたのために立てている計画」、バビロン捕囚は、不運で
起きた事でなく、敵による人の手のわざでもなく、神による計画だ
と言われる。それも見えるところは絶望と大混乱にかかわらず、将
来と平安と希望のための計画だと。縦糸と横糸が織りなされて、綺
麗な素晴らしい織物が出来上がるように、神は厳しい艱難の中で練
り込み、御霊と一つにして行って下さる。

私たちにも、突如の試練が降りかかる。ある日突然気がつくと、苦
しい辛い状況の中にいる。しかし、信仰人生で起こる一つ一つの出
来事は、偶然でなく不運なのではなく、すべて神の細部に至るまで、
綿密なる計らいだ。それは「あなたのため」であり、主は「よく知
っている」と。後に、それこそが神の深い愛であることが必ずわか
る。
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「七十年の満ちる頃」と試練の期間も、神は定めておられる。それ
より短くも長くも無い。不運でなく、相手の手によらず、サタンに
翻弄されているのではない。主の確かな主権と支配の中で、目の前
の事態が与えられている。信仰に立つ時、世には無い平安が臨む。