2017年11月27日(月)

「その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます」ヨハネ16:8

   
           
ある人が、まさに企業戦士であり、早朝出勤に帰宅は深夜、忙しく
仕事量は膨大で、休日など無く、ひたすら目の前の仕事をこなした。
余りの重圧にストレスは溜まり、過労でとうとう心身限界にまで来
た。眠れなくなり、食欲も失せ、睡眠剤に頼るようになった。わけ
のわからない不安、孤独感に襲われ、軽い鬱状態で、しばらく休暇
を取った。

そんな時、誘われて教会へ行った。そこでの賛美、祈り、聖書、何
もかも初めてであったが、カラカラのスポンジが水を吸い込むよう
に、何か心にしみ渡った。不思議な安堵感があった。しかし弱りき
っていた者が、ただただ、わらにもすがりたかっただけで、自分の
「罪」が何もわかっていなかった。ある日、「自分はだめ人間で」
との言葉が口から出た。

その時「それは恵みです」と、だめだからこそ、神の力を知れると
言われ、カチン!と来たのだ。だめな人間と、他人から同意された
事に怒りが湧いた。口では言うが、自分はこれぽっちも思っていな
い。その時、自分のプライドが、あぶり出された。自分で血のにじ
むような努力を重ね、頑張りに頑張って、成果を出して来た。その
プライドは人一倍高く、そのプライドこそが神を認めなくさせてい
た。

神など要らない。自分が神であり、それは恐るべき高慢であり、そ
れこそが罪であると示された。とにかく人より上に立ちたい、勝ち
たい、評価されたい、認められたい、今までの人生はそのためにだ
け、生きて来たと気づかされた。心から悔い改めた時、心底の安堵
を経験した。人生が変えられた。
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聖霊様が働く時、罪について考え、自分も救われなければと思わさ
れる。そこまで醜いとも思っていなかった自分の内側に気づかされ
る。内に語られる御霊様の声を聞き、交わりながら豊かな信仰生活
を歩んでいこう。