2017年12月28日(木) 「主のあわれみは尽きないからだ。それは朝ごとに新しい。あなたの真実は力強い」哀歌3:22
「主のあわれみは尽きないからだ。それは朝ごとに新しい。あなたの真実は力強い」哀歌3:22
主は、私たちを豊かにあわれんで下さる。しかし、あわれみを求め るには、へりくだった心が必要だ。へりくだっていなければ、あわ れみを求めることは出来ない。私たちは、何か良くない出来事が生 じると、自分はなんと不幸せでかわいそうと、人からの関心、配慮、 同情を求める。 目に見える人の愛が欲しい。しかしだからと言って、主の御前に 「こんな罪人の私をあわれんでください」とあわれみを求めるとは 限らない。なぜなら、自分の惨めさ、弱さを認めることができない からだ。プライドが許さない。そこまでではない、まだ自分で何と かできると思っていたい。それを認めるのは、余りにも惨め過ぎる と思っている。 だから、尚も自分の力に頼っている。しかし神のあわれみは、尽き ることがなく、それは朝ごとに新しい。徹底的な無力感を感じる時 に初めて、自分には力があると思っていたことを知る。そして自分 の力でやっていた事がわかる。主が、取り扱いを通して、試練を通 して、自分がいかに無力であるかを教えて下さる。自らの無力を知 る事こそが、実は大きな祝福だ。 その時、「主よ、あわれんで下さい」との心からの叫びが出る。そ して、又、自分の強固などうしようもない自我を知る時「主よ、あ われんで下さい」と祈ることができる。そして、主はその祈りに答 えて、豊かにあわれんで下さる。 ------------- 神はくり返し失敗し罪を犯すばかりの者を、いつもかえりみて受け 止めて続けてくださる。神にあわれみを求める他にできる事がある だろうか。弱さ、惨めさに気づく度にあわれみを求めて祈れる。 感謝しかない。