2018年07月28日(土)

「『わたしに何をしてほしいのか』すると盲人は言った『先生。目 が見えるようになることです』」マルコ10:31


バルテマイは、物乞いをして生きていた。盲人ゆえに人に依存して
生きるしかなかった。主がエリコに来られた。耳は聞こえ、主の
様々な噂を聞いていた。憐れみ深いお方、この方なら目を開く事が
お出来になる。そう信じたので叫び求めた。周囲に止めれるが、諦
めずに、更に大声で叫び立てた。この方に可能だと思わなければ、
求めはしない。

すると主は、彼を呼ぶようにと。彼は上着を捨てて主のもとへかけ
寄った。上着は、彼にとり大切な必需品、その大事なものを捨てて、
主のもとに来た。その彼に「わたしに何をしてほしいのか」と問わ
れると、「目が見えるようになること」と答えた。主は彼の願いを
すでにご存じだったが、彼にどうありたいのかと、しっかりと自覚
させられた。

彼は霊の目が開かれる事を願った。心の目が開かれる事こそが、真
の幸せではないのか。真に主に出会い、主の喜びに満ちるなら、状
況は問題ではない。私たちはして欲しい事は様々あるが、どうあり
たいのだろう、核の求めは何だろう。

すると主は、「行きなさい」と言われた。もう自分の足で立てる。
あなたの信仰があなたを救ったのだと。彼の目は見えるようになっ
た。先に見えるようになって、「行きなさい」ではなく、「行きな
さい」の後で目が開いた。

主は、自分の足で立って歩むように、自立させて下さる。自立とは、
人依存でなく、主に拠りすがって生きる事だ。それを得て、霊の目
が開かれた彼は、主を賛美し、崇め、主の行かれる所について行っ
た。

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「わたしに何をしてほしいのか」と主に問われるなら、何と答える
だろう。普段から切なる心底からの求めがあったから「目が見える
ように」と即座に答えられた。主は求めを喜ばれ、答えて下さる。
核心を突いた求めができるように、主のお心を求めて行こう。