2018年08月28日(火)

「それは、肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、律 法の要求が全うされるためなのです」ローマ8:4


ある人は、子供が、なかなか親の言う事を聞かず、困り果て、子供
のために祈る時、いつも「どうか良い子になりますように。親にち
ゃんと従えますように。神様に従えますように。態度が良くなりま
すように」と祈っていた。そんなある時、御霊による気づきが与え
られた。

子供にしょっ中「ああなれ、こうなれ」と口うるさく小言を言って
いる自分の姿に。つまりは絶えず「お前は、今のままでは不十分
だ」と言っている事だと。子供を、自分が、変えよう、変えようと
している事に気づかされた。目の前の子供を受け入れておらず、自
分の思い通りにしようとしている。

変わるべきは子供ではなく、自分であった。悔い改めて、いっさい
家族への要求を止めて、家族に感謝する事を始めた。妻を、子供を
与えられている事、家庭を与えられている事に感謝し始めた。そし
て、家族を幸せにするために、自分は何ができるかを求めて祈った。
すると家の中が、何もかもが一変した。暖かい空気が流れ、和やか
になり、皆がリラックスできるようになった。

家庭が変えられ、オアシスとされた。神の愛が家庭に臨んだ。人を
変えよう変えようとする時、そこに裁きと批判と不平不満、トゲが
存在し、そこには神の愛は無い。しかし、感謝して行く時、そこに
確かに潤いと温もりが流れる。何か冷ややかなものがある時、自ら
を振り返ろう。目の前の相手を変えようとしていないか。「私を変
えて下さい」と祈ろう。その祈りは必ず答えられる。

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しばしば、正しいのだが、愛が無いという誤りに陥ってしまう。又、
本当は相手のためではなく、自分を落ち着かせたいがために、自分
のために小言を言う。すると相手に響かないし逆効果となる。御霊
はいつも軌道修正し、御心へと導いて下さるので感謝でならない。