2019年03月28日(木) 「そこでアナニヤは出かけて行って、その家にはいり、サウロの上に手を置いてこう言った。『兄弟サウロ・・』」使徒9:17
「そこでアナニヤは出かけて行って、その家にはいり、サウロの上に手を置いてこう言った。『兄弟サウロ・・』」使徒9:17
当時キリスト者は、激しい迫害の中、エルサレムから方々に散り、 国外にまで散った。しかしユダヤ人たちはクリスチャンを徹底的に、 執拗に追った。青年サウロは、殺害に燃えて、大祭司にダマスコの 諸会堂宛の手紙を書いてもらい、彼らをエルサレムに引いて来よう としていた。 それが神のためだと信じていた。その途上で、突然天からの光を受 けて、回心する事になる。一方、ダマスコに住んでいたアナニヤは、 どんどん迫り来る危機に、必死に祈っていたろう。そんな時に「ア ナニヤよ」との御声を聞いた。どんなに心強かっただろう。励まし の言葉と思ったかも知れない。 しかしその御声は、非常に驚くべきものだった。キリスト者に殺意 を抱き、痛めつけて来たサウロに会いに行けと。盲目状態にいる彼 の開眼のために祈れと。アナニヤは余りの想定外の事に、理解でき ず、しかし彼は迫害者で・・と問うて行く。主は、彼は選びの器で ある事を告げ、行けと。 アナニヤはどうだったろう。多くの愛する同胞を殺害した相手だ。 その相手を助け、祈れと言われる。だが、あのサウロが本当に回心 したのか。それこそ自分も殺されるかも知れない。命がけであった ろう。又。本当に主の御声なのか。聞き違いではないのか?様々な 思いがよぎったかも知れない。 しかし彼は普段から主との交わりに生き、従い続けて来た弟子であ り、主の御声を知っていた。アナニヤは主を信じ、従った。主は彼 を選ばれ、彼が従うと知っておられた。主が導かれたなら、主から 力が与えられる。そして主が成し遂げられる。 -------------- 自分の今の感情や経験に捕らわれ、そこから一歩も動けずにいるよ り、先にある主のご計画を信じて御言葉に従っていこう。主が責任 をもって導き必ず祝福してくださる。