2019年06月27日(木)

「それで、イエスを見るために、前方に走り出て、いちじく桑の木 に登った」ルカ19:4


人は、被造物なので、何かに頼らなければ生きて行けない。自分は
自主独立だと言う人がいるが、自分に頼っている。富に頼っている
かも知れない。神に頼らなければ、必ず何か別のものかに頼り、心
の偶像となる。愛する人、名誉、地位、人からの賞賛、仕事、趣
味・・何かを握りしめて、心の安心を得ようとする。

ザアカイは、富が自分を幸せにしてくれ、夢を叶えてくれ、生きる
喜びを与えてくれると信じたので、富を握りしめた。不正の利で、
財を築き上げ、取税人のトップに昇りつめ、資産家となった。有り
余るほど富を得た。しかし不正の罪を犯していたので、心は暗く、
喜びも平安も無かった。富は自分を決して幸せにはしてはくれなか
った。

心は虚しく、更に人々にも嫌われ、孤独な日々だった。一筋の光を
主に求め、望みを主に置いた。ところが主はすでにザアカイをご存
じで、主を求める渇いた心を受け止めておられた。ザアカイは人々
に阻まれて、主に会えないとわかると、木に登ってまで主のもとへ。
それほどの一途な心を、求めを、主はどんなにか愛し、応えて下さ
った。

「今日、あなたの家に泊まる」とすでに決めておられ、ザアカイは
主と食事をし、主と共にいた、その後、180度変えられた。別人に
なった。金の亡者が、半分を貧しい人に施し、だまし取った人々に
は4倍にして返すと。以前のザアカイを思うと、奇跡のようだ。主
の愛に満たされた結果だった。

主は、主への求めを喜ばれ、求める心に応えて下さる。神以外のも
ので、安心を得ているだろうか。主はご自身に求めて来る人を決し
て拒まず、豊かに満たして下さる。

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主を切に求めるたましいを、愛して受け止めて下さる。「主を見る
ために、走り、登った」。朝起きた時から、そして日々に主を切に
求めたい。主との関係を深められるよう、又、目をそらす妨げがあ
るなら、気づきが与えられるよう祈ろう。