2019年07月28日(日)

「賢い娘たちは、自分のともしびといっしょに、入れ物に油を入れ て持っていた」マタイ25:4


花嫁の10人の友人たちが、ともしびを持って花婿を迎える準備をし
ていた。ところが花婿が来るのが遅れたので、皆、うとうとと居眠
りをした。その時に突然花婿の到来が告げられた。皆起きて、とも
しびを整えようとしたが、5人は予備の油を持ち、5人は持たなか
った。ともしびが消えてしまうので、油を分けてくれるよう頼むが、
分けて上げるほど無いので、店に行って買うように言われた。

しかしその間に花婿が到着し、予備油を持っていた5人の娘たちだ
け入り、婚宴の戸は閉じられた。ここでは居眠りは問題でない。賢
い5人の娘も愚かな5人の娘もどちらも居眠りした。ともしびもど
ちらも持っていた。何が問題なのか。予備の油を用意したか、否か
だった。

その予備の油は、人に貸し借り出来ないものだった。「分けて上げ
られない」とは、一見冷たいように感じるが、出来ないのだ。油を
用意するとは、聖霊に導かれた生活を、主との交わりを日々地道に
積み重ねて行くことだ。御言葉に耳を傾け、従って行くことだ。一
日一日を通して、主との関係を培い、信仰を信頼を培われ、深めら
れて行く事だ。

それは主と自分との個人的関係の事なので、誰かに取って代わる事
など不可能だ。主の再臨まで、油を豊かに備えること、地道な交わ
りにより、主との信頼関係を築き、それを深めて行くことだ。それ
が主をお迎えする準備を整える事であり、賢い娘だ。

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いつの日か主と顔と顔を合わせて会える。その時を思い、準備をし
て行きたい。天に繋げた今日であるように。サタンは目に見える所
を大きく見せ、この世がすべてのように思わせる。目を天に向け、
この一日も主と信頼関係が築かれる一日であるように。