2019年08月28日(水)

「神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません」詩篇51:17



罪悪感が、とがめが、どうしても無くならないという人々がいる。
何度も、何度も、悔い改めて、尚、とがめが無くならないと苦しむ。
だが、それは自分で自分を罰して、主の赦しを受け取ろうとしない
態度だ。「どうしてあんな事をしてしまったのか」と自分を責め、
後悔をにさいなまれ続ける。

だが、主が十字架上で、私のためにその罪の責めも負い、罰を代わ
りに受けて下さった。主があなたを赦して下さったのだから、もう
あなたは自分を責めてはならない。もしかして、その主の赦しを頭
だけで、心の底では受け取ろうとしていないのかも知れない。又は
信じていないだろうか。「神の和解を受け入れなさい。神は、罪を
知らない方を、私たちの代わりに罪とされました」

ダビデは、バテシバと姦淫の罪を犯し、その夫ウリヤ殺害という大
罪を重ねた。その後、預言者ナタンが、ダビデの罪を指摘した時、
ダビデは罪を悟り、悔い改めた。その時、罪は赦された。ダビデが
罪の赦しを信じ、救いの喜びを返して下さることを信じたからだ。
「あなたの救いの喜びを、私に返し、喜んで仕える霊が、私をささ
えますように」。罪で、苦しく、重く渇ききったダビデの心は、新
たにされた。

「神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心」。
砕かれた、悔いた心を尊んで受け入れ、赦して下さる。「御子イエ
スの血はすべての罪から私たちをきよめます」。問題は、罪の赦し
を、心の底では信じられないことだろうか。ありのまま御前に行き、
心の内をそのまま告げよう。祈りに答え、主は導かれ、信じる心を
与え、罪の赦しの確信を与えて下さる。
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何度も何度もとがめを感じていく事が砕かれた魂だろうか。主の十
字架があるがゆえに罪は赦され、神の子とされた。神の赦しを受け
取ろう。またとがめを感じず流している罪にも敏感になりたい。