2020年03月28日(土) 「人は自分の行ないがことごとく純粋だと思う。しかし主は人のた ましいの値うちをはかられる」箴言16:2
「人は自分の行ないがことごとく純粋だと思う。しかし主は人のた ましいの値うちをはかられる」箴言16:2
ある人の子供が、学校へ行きにくくなり、休みがちになったと思う と、とうとう不登校になってしまった。親も最初は何とか行かせな ければと、焦った。励ましたり、少し背中を押してやったり、それ こそなだめたり、すかしたりと、ありとあらゆる事をした。しかし どうやっても、登校する気配は全く無かった。 親として連携も大切と、学校にも連絡を密に取り、担任ともよく話 し合った。出来る事は何でもしようと、子供の友人関係の親御さん 達とも連絡を取った。親として出来る事は一生懸命に労したのだが、 事態は、全く何も動かなかった。自分に出来る事はすべてし尽くし、 しかし何一つ変わらず、徒労感におおわれた。 疲れ果てて、主のもとへ行き、長く祈った。心の何もかもを吐き出 すように祈った。主との交わりの中で、心探られた。表に出た状況 の問題でなく、自分の心の中を見せられた。プライド、人の目を気 にする虚栄心、自我が照らされた。今まで全く気づかなかった自分 の姿を見せられて、心から悔い改めた。 すると今までの心の重苦しさ、悶々が消えて、心が平安にされ、解 放された。そして不思議だが、行っても行かなくてもいいと、思え た。ノウハウとして、行かなくてよいと言うのでなく、心底そう思 えて自分でも驚いた。少し前まで、何とか手を尽くして、どうあっ ても登校させようと必死だったのに。心が新たにされ心から感謝し た。すると子供が登校し出した。自分の問題でもあったと、主に感 謝するばかりだった。 ・・・・・・・・・・ 今までも苦しみ、悲しみ、様々な試煉があったが、一つ一つが取り 扱いであり、ご計画であり、万事益の通りだった。その益が、御子 のかたちに変えられて行く益であり、自分自身が主を知って行ける 恵みであったことに感謝だ。