2020年06月27日(土)

「これらのことが彼らに起こったのは、戒めのためであり・・世の終 わりに臨んでいる私たちへの教訓とするためです」Tコリント10:1 1


聖書の中には、信仰者の失敗がありのまま記されている。世の一般
書なら、都合良い部分だけ記し、都合悪い部分は隠す。しかし素晴
らしい信仰の勇者も人間であり、失敗する。罪も過失も、そのまま
に赤裸々に記されている。まずアダムとエバは失敗して罪の方を選
び、それは原罪となった。カインは妬みのゆえ、弟アベルを殺害し
た。ノアは酔っ払って失敗した。

アブラハムは妻を妹だと偽り、又、神の時を待てずにハガルにより
イシマエルを産み出すという重大な失敗をした。ロトは肉で歩み、
この世の名誉地位を愛し、娘婿も妻も滅びから救えなかった。イサ
クも父と同じく嘘をつき、ヤコブは父と兄を欺いた。モーセは同胞
の救出に失敗し、殺人を犯して逃亡した。

又モーセは、出エジプト後、荒野に出た時には、主に従わず怒りで、
岩を打つ罪を犯し、約束の地に入れなかった。アロンは、モーセが
不在の間に、民に要求され、何と金の子牛の偶像を作ってしまった。
ダビデは姦淫の上に殺人を重ね、ペテロも弟子たちも、主が捕らえ
られた時に、主を裏切って、逃げた。

主はそれら失敗を悔い改めに導き、ことごとく赦し、尚も全く変わ
らない愛で、愛し続けられた。どんな失敗をしたとしても、決して
見捨てられる事はない。アブラハム、イサク、ヤコブは大いに祝福
され、モーセは出エジプトの大役を任され、ダビデはあの素晴らし
い詩篇を記し、ペテロは、後に諸教会のリーダーとして活躍した。

失敗した時は、問題の原因を考えよう。自分のどの弱さなのか、何
に触れるのか。そうするなら同じ事を繰り返さない。主の赦しを受
け取ろう。主のあわれみは尽きない。再びやり直すことができる。
失敗で落ち込み、倒れてしまうのでなく、教訓として学び、前に進
ませて下さる。
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人間なので、必ずミスをするし、したくはないが失敗してしまう。
犯人捜しと原因をきちんと考える事は全く別だ。自分の弱さをしっ
かり知り、認める事で、同じ過ちから守られる。失敗から学ぶ事が
大切だ。主の豊かな赦しにより、そこから前に進んで行ける。