2020年11月27日(金) 「キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。ですから・・しっかり立って、またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい」ガラテヤ5:1
「キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。ですから・・しっかり立って、またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい」ガラテヤ5:1
ある人が不眠に悩まされ、幾ら努力しても、どうしてもだめだった。 眠ろうとすればするほど、更に不眠に陥った。余りに辛くて医師の もとに行くと、「そうですか。では不眠の新記録を打ち立てましょ うよ。眠らないよう頑張って」と言われた。何とその人は、その晩 眠れたのだ。「眠らねば」の呪縛から解放され「眠らなくてもよい のだ」と安心しきってしまい、重荷と悩みから解き放たれた。 私たちも律法の「ねばならない」に陥って行く時、どうやっても律 法を行なえない自分に、がんじがらめに縛られる。まるでアリ地獄 のようだ。もがけばもがくほど、ますます泥沼にはまって行く。出 来ない自分を責め、とがめにさいなまれ、苦しくてたまらない。し かし「律法は私たちをキリストへ導くための養育係となりました」 とあり、キリストのもとに私たちを連れて行くために、律法が存在 する。 つまり律法は私たちが、何一つ守れない事を、私たちに教えるため にあると。聖書の御言葉はすべて、私たちの内におられる御霊が、 行ない成し遂げて下さる。自分の力でするのではない。自分の力で しようとした途端、自分の肩にすべての荷がかかり、辛くなる。心 は、重苦しく、信仰が辛い重い修業になる。 「人のすべての考えにまさる神の平安」「喜びに満ちあふれ」など、 どこの世界の話かになってしまう。もし今、辛い状態なら、主にあ りのままを告げて祈ろう。御霊による歩みへと導いて下さる。 ------------ 我慢も努力も今日はできても明日はできない。失敗すれば落ち込み、 成功すればどこかで自分を誇ってしまう。いつも自分の奴隷だ。主 の最善を信じて主に託すときに、本当に自由にされる。