2021年02月25日(木)

「しかし、知識は人を高ぶらせ、愛は人の徳を建てます」Tコリント8:1



人と議論になる事があるだろうか。ある人が、友人と何でもない事
を話していたのだが、段々と議論になり、議論が高じて、言い合い
になってしまった。何とも気まずい空気のまま別れた。帰宅し、心
が重いので考えてみるのだが、自分は正しいと思う。間違っていな
い。しかし平安が無い。どうしても平安が無いので、主の御前へ行
き、思いを打ち明けて祈った。

祈りの中で、心の内を見せられた。自分が正しいと思うからこそ、
どんどん主張し、すると相手に負けたくないとの思いが出て来る。
更に打ち負かしたくなってしまう。そして自分の意見が受け入れら
れないと、腹が立って、感情的になる。議論には、気をつけなけれ
ば、意見を隠れみのに、強い自己主張、自我が出て来る事を教えら
れた。気づかされた事に感謝した。

そして「この命令は、きよい心と正しい良心と偽りのない信仰とか
ら出て来る愛を、目標としています」との御言葉を示され、自分の
正しさを主張するばかりで、「愛」が無かったと教えられた。「愛
を目標としています」。議論や意見交換する時も、そこに愛がある
かどうかが大切だと。

「愛をもって真理を語り」とあり、愛をもって正しい事を語る時に、
相手も聞くことができて、双方が建て上げられて行く。「愛がない
なら、やかしいどらや、うるさいシンバルと同じです」とあり、相
手に忠告する時も、何よりも必要なものが御霊の愛だ。御霊の導き
にあずかろう。
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御霊によりいつも示され、気づかされることは感謝だ。正しいと思
うと声高に語ってしまう。うるさいシンバルだ。誰かのつまずきと
ならないよう、主の愛を祈って臨もう。