2021年03月28日(日) 「十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれるトマスは、イエスが来ら れたときに、彼らといっしょにいなかった」ヨハネ20:24
「十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれるトマスは、イエスが来ら れたときに、彼らといっしょにいなかった」ヨハネ20:24
弟子たちが恐れて隠れていた家に、よみがえられた主が、ご自身 を現わされた。そして「平安があなたがたにあるように」と。「弟 子たちは、主を見て喜んだ」とあり、どんなに嬉しかった事だろう。 興奮し、喜びに満ち溢れた。しかし、その場にトマスだけが不在だ った。 自分がいなかったのだが、「自分がいない時になぜ?」「自分だけ がいないのに?」と、不満な思いだったかも知れない。「私たちは 主を見た」と大喜びの弟子たちに、すねたように「その手に釘の跡 を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差 し入れてみなければ、決して信じない」と言った。 そしてその八日後、今度はトマスが一緒にいる、弟子たちの部屋に、 再びご自身を現わされた。主は、そのトマスに「あなたの指をここ につけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに 差し入れなさい」と、トマスが言ったままを言われた。「決して信 じない」に対して「信じない者にならないで、信じる者になりなさ い」と。 トマスの心の中をすべて何もかも見ておられ、そしてそれが受け止 められている。その主の愛に包み込まれた。自分で見なければ、決 して信じないと言ったそんな自分を受け止め、向き合って下さった 主。まさにそのトマスのために、現われて下さったような状況では ないか。彼は、その主の愛に触れ、指を釘跡やわきに差し入れなか った。しかし「私の」主、「私の」神と、信仰告白が溢れ出た。 ・・・・・・・・・・・ 主に会えなかったトマスは、自分で確かめなければ「決して」信じ ないと言った。だがトマスは主の大きな愛に触れ、結果的に「私の 主、私の神」と最高の信仰告白をした。主はいつも、すべてを最善 に導かれる。私たちにも、今、目の前の事をそのようにして下さる。