2021年05月28日(金)

「もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます」Tヨハネ1:9


もし、私達が人に知られたくない、恥ずかしい失敗した時には、ど
うすればよいのだろう。それを隠ぺいして、無かった事にしてしま
いたい誘惑が来る。ダビデがバテシバと姦淫の罪を犯した時に、最
初は隠ぺいしてしまった。又、周囲に、責任転嫁をする誘惑が来る。
アダムが食べるなと言われた木の実を食べて、罪を犯した時に、エ
バのせいにした。エバは蛇のせいにした。自分は悪くない。

例えば、子どもが、床に置いたままのコップにつまずいて、水をこ
ぼした時に、こんな所にコップを置く者が悪いとなる。ここに置か
れていなければ、自分はこぼさなかった。又、人の言動にいら立ち、
怒りが沸く時、いら立たせる事を言う相手が悪い。相手が言わなけ
れば、自分は怒らない。万一相手が悪くとも、こぼしたのは自分で
怒るのは自分であることが、スルーされてしまう。

私達は、必ず失敗する。失敗しない人はいない。皆、弱さがあり、
間違った選択をしてしまう。罪を犯したくないが、犯してしまう。
その時の態度が大切だ。無かった事にし、無視するのか、その事を
認めないで、否定してしまうのか。又、人に責任転嫁するのか、主
は恵みの道を備えて下さっている。

「自分の罪を言い表わすなら・・その罪を赦し、すべての悪からきよ
めて下さる」。いっさいの言い訳と弁解をやめて、自分の失敗に、
罪に向き合う事が大切だ。それは失敗を認め、悔い改める事だ。そ
れが責任を取るという事だ。その時、光の中におり、完全な赦しを
受け取る事ができる。言い訳など必要なく、恐れる事も、逃げる事
も必要ない。その罪は赦され、真っ白にされるのだから。

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罪を認めないばかりか、自分の罪にも気づかない者だ。主の光に照
らされて本当の自分の姿がわかる。罪を赦される事は感謝だ。罪を
告白し、主の完全な赦しを受けよう。