2022年03月28日(月)

「人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。そ うでないと、天におられるあなたがたの父から、報いが受けられま せん」マタイ6:1



施しについて言われているが、当時律法学者やパリサイ人たちも、
施しをしていた。主は、施しを否定されたのではなく「人に見せる
ために」、主からの賞賛でなく、「人にほめられたくて」人の賞賛
を得るためにする事を禁じられた。彼らは動機が間違っていた。

貧しい人々に施しをするのは、その人のためではなく、自らが、皆
から立派だと見られたいがため、ほめられたいがための施しだっ
た。
そうであれば貧しい人を利用して、自分が誉れを受けている事にな
る。それなら天の父ではなく、自分が崇められるためになってしま
う。

だが、私たちも古い性質があり、人の評価や人の賞賛を求める心が
ある。人に認められたい欲求がある。。善行をして感謝が返らない
と、何と常識がないとの思いが湧くだろか。又、落ち込むだろう
か。
それなら相手を愛しての善行ではなく、自分のための善行になって
しまう。

肉は、どうしても見返りを求める。実は目に見えない神よりも、目
に見える人からの感謝、評価の方が心を満たしてくれるからだ。し
かし、それなら主の御前でなく、人前で生きている事になる。人か
らの栄誉に生きる時、神を信じる事ができないと。

御霊は心の奥にあるものを気づかせて下さる。気づけることが感謝
だ。光の中にいる。弱い者である事を認めて、主に助けを仰ごう。
主は取り扱い、導き。変えて行って下さる。
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せっかくの善行が、褒められたいとの動機なら主の前に、それが空
しい事だと認めたい。自分の前でラッパを吹き鳴らそうとする時に
それは主に繋がっていないと気づきたい。