2022年06月27日(月) 「私はあの子のところに行くだろうが、あの子は私のところに戻っ ては来ない」Uサムエル12:23
「私はあの子のところに行くだろうが、あの子は私のところに戻っ ては来ない」Uサムエル12:23
ダビデは、姦淫と殺人の罪を犯し、隠ぺいしていたが、ナタンに指 摘され、悔い改めた。そしてその罪は完全に赦された。しかし自分 の蒔いたものは、必ず刈り取ることになる。敵を大いに侮らせたの で、生まれる子は必ず死ぬと言われた。バテシバとの間にできた子 どもが病気になった。 ダビデは断食して祈り、伏して主に願い続けたが、叶わなかった。 7日目に子供は死んだ。生きている時ですら、王の悲痛ぶりに、周 囲は死を知らせる事を恐れた。普通ならどんなに痛み、悲しみに沈 み、失望落胆する事だろう。しかしダビデは違った。 我が子の死を知ったダビデは、身体を洗い、着物を着替え、主の宮 に行き、主に礼拝を献げたのだ。そして、帰宅し、食事をとった。 家来たちは驚いた。子供が生きている間は断食をして泣いて祈った のに、亡くなると、起き上がり食事をするとは。ダビデが、断食し て祈ったのは、あるいは、もしかすると主のあわれみで、助かる かも知れないと思ったからだった。 だが死んだならもう呼び戻せない。このダビデに学ぶ事が出来る。 自分の願いは願いとして主に熱心に祈るべきだ。しかしもし、その 願いが、主の御心で無いなら、「ノー」の答えとして、受け入れる 事だ。ダビデは主からの「ノー」を受け入れた。 時にどんなに強い願いであっても、主の御心とは異なる事がある。 「ノー」の答えは、嬉しくないし、痛い。しかし私たちへの最善の 答えだ。受け入れられないなら、そう出来るよう祈ろう。主は祈り に答えて、必ず助けて下さる。 ------------ ノーの答えは主からの答えと徹底して信頼しきっているダビデの姿 に学ばされる。今は悲しくても、それ以外の答えはあり得なかった のだ。主からの答えを心静かに受け取り、立ち上がりたい。