2023年09月27日(水)

「話し合ったり、論じ合ったりしているうちに、イエスご自身が近 づいて、彼らとともに道を歩いておられた」ルカ24:15



エマオ途上の二人の弟子たちは、主の無残な十字架の最期を見て、
失望落胆した。よみがえりを信じていない彼らは、エルサレムを後
にし、とぼとぼと郷里へ引き揚げる。「暗い顔つき」だ。主がロー
マ帝国をくつがえし、王国を打ち立てるとの思いが余りにも強く、
その分、失望も非常に大きかった。期待が大きければ、落胆も大き
い。

何もかも打ち砕かれ、絶望し、なすすべなく、郷里へ向かう弟子た
ち、そんな彼らを主は見捨てられなかった。よみがえりを信じない
彼らだったが、まさにその信仰をよみがえらせるために、主ご自身
が彼らのもとへ向かわれた。失望落胆で、かたわらを歩く主がわか
らない弟子たちに、主はどこまでも御言葉を語られる。御言葉を解
き明かし続けられる。

「みことばの戸が開くと、光が差し込み、わきまえのない者に悟り
を与え」る。原則として、私たちは御言葉を通して主と出会う。御
霊が働かれ、御言葉により目が開かれ、主がわかる。御言葉が大切
だ。御言葉を離れて、幻や、感覚や、神秘体験を求めると、間違っ
た方向へ行ってしまう。

今、失意の中にいて、主を見失っているだろうか。主は決して見捨
てず、あなたのかたわらを歩いておられる。御言葉を解き明かし、
ご自身を現わされる。今、御言葉を注視しよう。祈りつつ耳を傾け
よう。主は、御言葉を語っておられる。御霊が働いて、御言葉によ
り、新たに主がわかるようにされる。
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暗い顔つきで主を見失っている者を、放さずなお主は語ってくださ
る。主の御言葉に聞いて行こう。聞くことで御霊に励まされ、教え
られ新しい力が生まれる。主にありのままを祈ってみよう。