2023年11月27日(月) 「咎が私を圧倒しています。しかし、あなたは、私たちのそむきの 罪を赦してくださいます。」詩篇 65:3
「咎が私を圧倒しています。しかし、あなたは、私たちのそむきの 罪を赦してくださいます。」詩篇 65:3
ダビデが、バテシバとの姦淫、彼女の夫ウリヤ殺害の罪を隠してい た間は、良心のかしゃくで一日中うめき、骨々は疲れ果て、骨髄は 夏のひでりで乾ききった、とある。「御手が昼も夜も重くのしかか り」と、主が臨んで、良心のかしゃくを与えておられた。その罪ゆ えに煩悶し、耐えきれず、自らの罪を主の御前に告白し、悔い改め た。 悔い改めにより、罪が赦された大きな喜びを語っている。「あなた は私の隠れ場、救いの歓声で私を取り囲まれる」天にものぼる嬉し さ、喜びであったろう。苦悩にうめき、苦しんだ心の奥が平安にさ れ、安堵が臨み、そしてその平安は流れ出て来て、喜びが満ち溢れ た。罪をひたすら隠して、もだえ苦しんでいた時と何という驚くべ き違い、天と地の差だ。 「幸いなことよ。そむきを赦され〜」この「幸い」は、素晴らしい 幸福、最高の幸福、満ち満ちた喜びとの意味だ。ダビデは名誉も地 位も、富も才能も持った人だった。王であり将軍であり、音楽の才 能を持ち、詩篇を書いた詩人でもあり、文武両道何もかも所有した 人物だった。しかし、ダビデの人生で、何よりの最高の幸せは、罪 を赦された事だった。 主は、罪を悔い改め、赦された人に「悟りを与え、行くべき道を教 えて」下さる。霊的な理解や気づきを与えて、人生を導いて下さ る。何という幸いだろう。今、良心のかしゃくがあるなら、主の赦 しを受け取ろう。罪は痛みと苦しみだ。最高の幸せは、罪が赦され る事だから。 -------------- 赦しを受け取ると圧倒してくる罪のとがめから解放され、感謝とと もに主の御前に心底へりくだらされる。謙遜にさせられる。罪を赦 されるとは何という幸いだろう。主の赦しを受け取ろう。