2023年12月28日(木)

「あなたは正しすぎてはならない。知恵がありすぎてはならない。 なぜあなたは自分を滅ぼそうとするのか」伝道7:16


「正し過ぎてはならない」「知恵があり過ぎてはならない」とあ
り、日常生活において、この言葉は知恵と指針を与えてくれる。何
事も「過ぎるな」と教え、戒められている。親の子どもへの過干渉
や過保護が、どんなに子どもを損ない、妨げるかはよく知られてい
る。

子どもを保護する事は親の義務で、重要で大切な事だが、「過」保
護は違う。子どもを転ばせたくないために、親が先回りし、石を取
り除く。親が子どもが転ぶのを、見るのが痛いためだったりする。
それなら、子どものためでなく、自分のためだ。

転ぶ事を知らない子どもは、失敗への免疫と耐性が無いので、大き
くなった時に、小さな失敗すら耐えられず、乗り越えて行けない。
若い時に転ぶ事を、失敗や挫折を経験する事は良いことだ。又、過
干渉は、子どもを親の思い通りにし、子どもの意志を奪い、子ども
は、自分がわからなくなる。

絶えず親が口を出し、「ああしろ、こうしろ」と指図する。実は親
が不安なので、自分の不安を解消するために、口うるさく言う。親
の「保護」は必要で良い事だが、過ぎると害になる。又、自分の信
念に従って、意見を言える事は良い事だ。わがままとは、相手の事
も状況も、いっさい考慮せず、ただ単に自分の我を押し通すこと
だ。

だが注意が必要なのが、正しく意見を述べる良い事も、「過ぎる」
と正しくなくなってしまうと。自分の意見を述べていたはずが、過
熱すると、どうしても自分を押し通したい、自我がむくむくと出て
来る。議論に負けたくない。又、正論だが、そこに愛が無い、とい
う間違いも犯しやすい。過不足の無いように、祈って、へりくだっ
て、御霊に導いて頂こう。
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謙遜にならなければ、御霊の導きが聞こえない。正しいと思うとき
大きな罪に迷い込む。それに気づけない。自分は弱く間違いに気づ
きにくい者だと覚えて、主の前にいつも謙遜を祈っていたい。