2024年06月26日(水) 「わたしはエッサイの子ダビデを見いだした。彼はわたしの心にか なった者で、わたしの心を余すところなく実行する。」 使徒13:22
「わたしはエッサイの子ダビデを見いだした。彼はわたしの心にか なった者で、わたしの心を余すところなく実行する。」 使徒13:22
ダビデは、主から「わたしの心にかなった者」と言われ、主の心に かない、主と一つなる者と言われていた。「わたしの心にかなった 者」との言葉は、何と光栄な事で嬉しいものだろう。しかし、その ダビデは完全だっただろうか。そうではない。彼はバテシバとの姦 淫の罪を犯した。 そこで主を仰ぎ、悔い改めたなら良かったのだが、更にひどい事 に、その罪を隠ぺいするために、彼女の夫ウリヤを殺害してしまっ た。大変な罪を重ねてしまった。ウリヤは、ダビデ王にとって、大 変忠実な良い部下だった。それを殺害してしまい、罪まみれだ。そ れが、どう主と一つだったのか。 そのダビデの素晴らしいところは、自らの罪を示される度に、主の 御前に、その罪を認めて悔い改めた事だった。ゆえに、主と一つで あるという事は、完全に主の御心を行ない、決して罪を犯さないと いう事ではない。そんな事をできる人は、一人もいない。弱さゆえ に、主の御心を痛め、罪を犯してしまう。しかし、御霊はその罪を 指し示され、悔い改めに導いて下さる。 その時に、心を頑なにせず、逃げずに、主と自分にまっすぐに向き 合い、心砕かれ罪を認め、悔い改める事だ。十字架の完全な赦しが すでに備えられている。悔い改め、悔い改めて、赦されて、赦され て歩むこと、それが主と一つである事だと言われる。今日、御声を 聞くならば、心を頑なにせずに、導きに従おう。 --------------- 主に対して罪を犯したことを認め、ごまかさず言い訳せず主に赦し を願おう。主に赦されなければ真の解決にはならない。くり返し罪 を犯す者が主と一つにされている。感謝だ。