2024年07月28日(日)

「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになり ますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みに まいりました」マタイ2:2



ユダヤ民族は、旧約の預言で教えられていて、自分たちの救い主
であるメシヤ到来を長い間、待っていた。切実に待ち望んでいたは
ずだ。東方の博士たちがエルサレムに着いて「ユダヤ人の王として
お生まれになった方はどこにおいでになりますか。」と問い、「その星
を見たので、拝みにまいりました」と言った。

それを聞いたヘロデは、ひどく戸惑い、恐れた。ヘロデが恐れ惑う
のは理解できる。新しい王が来たなら、自分の地位が危うくなる。地
位のためには、身内まで殺害して来たヘロデだ。ヘロデ王はわかる
が、「エルサレム中の人も王と同様であった」と、エルサレム中の一般
人も、恐れて惑った。

なぜユダヤの一般の人々が、救い主誕生を恐れ惑うのか。当時は
ローマ帝国が、大きな勢力を誇り、大帝国となり、ほとんど地中海一帯
を支配していた。ユダヤも、ローマ帝国に占領されていた中、一帯は、
それなりの平和が保たれていた。自分の生活も安全も、それなりに
保たれていた。そうであれば、それが乱される、余計な侵入者は脅威
であるし、嫌なのだ。拒否反応だ。

私たちも同様で、肉はそうかも知れない。何が正しくて、真理であるか
より、何が楽で、平穏に生きて行けるか、安楽な方へ〃と、流されてし
まう。楽に、安穏に生活して行きたい、心乱されたくないし、生活も乱さ
れたくない。関わらないで欲しい。今、楽な方を選ぼうとしているなら、
立ち止まろう。主を見上げ、主の御心が一番大切であることに立ち返
ろう。    

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人生が順境、安穏であって欲しい。生まれつきの性質は、家内安全、
無病息災を願う。しかし御言葉は生涯、試練はあると言っている。
試練により、砕かれ、練られ、成長成熟へと導かれる。それも必ず
乗り越えられる試練だ。受け止めて行けるよう祈ろう。