2024年10月28日(月)

「彼が・・のみで型を造り、鋳物の子牛にした。彼らは、『イスラエ ルよ。これがあなたをエジプトの地から連れ上ったあなたの神だ』 と言った」出エジプト32:4



モーセが、主とまみえるためにシナイ山に上った。モーセが不在の
間に、民は、神がわからなくなってしまい、アロンに偶像の神を造
るように頼んだ。彼らは周囲の偶像の民と同様に、目に見える神を
求めた。人は目に見えない神よりも、肉眼で見る事のできる偶像を
求める。それは木や石や金で造ったいわゆる像だけではなく、お金、
仕事、趣味、人であったりする。

又、名誉や地位、人からの賞賛が偶像にもなる。目に見えない神を
信頼できないので、確かな手ごたえのある、目に見えるものを求め
る。アロンは、モーセを助けるために、主によりそこに置かれた。
モーセ不在中の出来事に、主に頼り、導きを受け、民を治めるべき
であった。それが民の言いなりになってしまった。

アロンは鋳物の子牛の像を造り、彼らは「これがあなたをエジプト
の地から連れ上ったあなたの神だ」と言い、礼拝した。主はモーセ
に「すぐ降りて行け。民が堕落してしまった」と。主の栄光を現す
べき聖なる民が、偶像を崇め、礼拝し、主を辱めてしまう。私たち
は木や金の像を拝みはしないが、心の奥で、主よりも大切にしてい
るものはどうだろう。

主よりも愛し、主よりも頼っているもの、それが偶像だ。「このむ
さぼりが、そのまま偶像礼拝なのです」と、偶像礼拝は、心の欲望、
貪欲にあると。又、満たされない心を埋めたくて、偶像に走る。偶
像でなく、主ご自身が満たして下さる。愛なる主に求めよう。
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目に見えない神より、目に見える確かな手ごたえに安心してしまう。
そして、いつしか執着していく。この不信仰がある事をいつも認め
ていたい。真に必要なものを主に求めよう。