2024年11月27日(水) 「彼らは涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所とします。 初めの雨もまたそこを祝福でおおいます。彼らは、力から力へと 進み、シオンにおいて、神の御前に現われます」詩篇84:6
「彼らは涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所とします。 初めの雨もまたそこを祝福でおおいます。彼らは、力から力へと 進み、シオンにおいて、神の御前に現われます」詩篇84:6
信仰人生には、日々の生活において、問題や、悩み、悲しい事や苦 しい事、理解できない事が起きる。それらは、未信者にもクリスチ ャンにも同じように起こる。クリスチャンには起きないという事は 無い。同じように起きて来る。しかし、そこに違いがある。神を信 じる人は、どんな悲惨な事が起きても、どんなに悲しい苦しい事が あっても、そこに神を認めて行く。 「彼らは涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所とする」そのま っただ中に神がおられ、神の愛、慈しみ、助けを実際に体験して行 く。その涙が祝福へと変えられて行く。しかし、神を信じない人は、 どんな奇跡的な素晴らしい事があっても、そこに決して神を認める 事は無い。そこの違いだ。 信じる人は、何を見ても、どんな出来事が起きても、そこに神を認 め、神の愛を認める。どんな問題や悩みが来たとしても、神を信じ ているから、そこを泉の湧く所とし、その悲しみ、苦しみの中に神 を見、神に新たに新たに出会って行く。沢山の霊的祝福を、学びを 与えられて行く。信仰とはそういう事だ。 だから、もし思い煩い、焦り、恐れ、不満でいっぱいなら、神以外 のものを頼り、見ていないだろうか。問題を見て、自分を見て、主 が飛んでいて、心は暗く、重く、平安が無く、ネガティブな思いで いっぱいだろうか。そうなら、ありのままを主に告げよう。祈ろう。 そして、その所こそ、泉の湧く所である事を、味わい知り、御霊の 平安と喜びを経験させて頂こう。 -------------- なんと幸いなことでしょう。その力が、あなたにあり、だ。何があ っても感謝できる。悲観ではなく力から力へと進めるのは、悩みの 中でも主と深く交われて、霊的な祝福が備えられているからだ。