2025年02月25日(火)

「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしはあなたがたに わたしの平安を与えます」ヨハネ14:27


私たちの信仰人生はどうだろう。大きな困難、深い悩み、小さなト
ラブル、次々とやって来る。天に帰るまで、この世にいる間は、問
題が無くなることは無い。ずっと来る。振り返っても納得だ。誰し
も、問題が解決するとひと安心だ。しかし解決するまで、問題の最
中は、不安で不安でたまらないだろうか。思い煩いと恐れにさいな
まれる。

それなら世の人と同じだろうか。問題は次々と起きる。私たちの主
は、その嵐のまっただ中で、「平安」を約束して下さっている。主
と弟子たちは、湖で大嵐に会った。、弟子たちは大パニックだった
が、主は、大揺れする舟の中で、熟睡されていた。なぜなら主の言
葉は100%成就する。「向こう岸に渡ろう」と言われたからには、
途上に何があろうと渡れる。主の言葉は霊であり、命だ。

その主が、「わたしは、わたしの平安を与える。わたしが与えるの
は、世が与えるのとは違う」と、世の安心とは全く違う、主の平安
を約束して下さった。問題の解決が、まだ見えないまっただ中で、
主に委ねて祈って行く時に、主が共におられるから、思い通りでな
くても、どうであれ大丈夫だと思えて来る。「不安です。恐れてい
ます」とそのまま祈ろう。祈りは、心が主に向く。

目が問題と自分に向いている時には、平安が無い。又、この世のも
のに心がある時、焦り、イラ立ち、思い煩いでいっぱいだ。今、不
安だろうか、経済的必要に、対人関係に悩んでいるだろうか。心を
主に向け、ことごとくを打ち明けよう。一つ〃委ねて行く時、問題
はまだあるが、不思議に心が落ち着いて来る。大丈夫だと思えて来
る。
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主の平安が失われると真に心細い思いがする。自分と問題だけに捕
らわれている事に気づきたい。主に助けを祈ろう。御霊は御言葉を
思い起こさせてくださり、恐れの中でも主の深い平安を受けとる。