2025年03月28日(金)

「なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低く する者は高くされるからです」ルカ18:14


ある人が、自分は対人関係で、人に対して、常にフェアであろうと
して来たし、そうしていると思っていた。自分は決して人を偏見で
見ないし、差別もしない。そうする人は間違っていると思っていた。
しかしある時、聖書のパリサイ人と取税人の祈りの箇所を読んでい
た。

その時、パリサイ人が「神よ。私はほかの人々のように〜〜でなく、
ことにその取税人のようでないことを、感謝します」と言った箇所
が、突然、心にグサッ!と突き刺さった。心の奥の自分の姿だった。
このパリサイ人は何と愚かなのか、自分はそんな事はしないと、パ
リサイ人を見下し「私は、このパリサイ人のようでないことを感謝
します」と思っている自分。

又、更に、表にこそ出さないが、実は、心の底では様々差別をして
いる醜い自分に気づかされた。まさにパリサイ人の姿そのままだっ
た。神に反抗しているならわかりやすいが、表面的には、御言葉に
従い、正しくあろうとし、神の心に適いたいし、従おうとは思うの
で、逆に気づかない。御言葉と御霊の光が臨む時に、心の奥底が照
らし出され、見せられる。自分も気づかなかった、知らなかった本
当の姿を知る。

がく然とするが、主は、そんなことは、何もかもすでにご存じだ。
ご存じの上で愛して下さっている。何という愛だろう。主は知って
おられるが、自分が自分の本当の姿を知らない。様々の取り扱いを
通して。本来の姿を見せられ、悔い改めつつ、更に新たに主を愛の
深さを知り、成長が与えられて行く。
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御言葉を知っている事と本当の自分は全く違う。簡単に高みから見
下す恐ろしい罪を持っている。気づかされるのは主のあわれみだ。
認めて、悔い改めて歩き出せる。