2025年04月27日(日)

「しかし彼は、自分の正しさを示そうとしてイエスに言った。『では、 私の隣人とは、だれのことですか』」ルカ10:29


当時ユダヤ人とサマリヤ人は敵対関係にあった。その敵のサマ
リヤ人が、傷を負い倒れたユダヤ人を助けた。その彼の動機は
「同情」であり、それ以外の何の下心も無かった。あわれみとは、
かわいそうに思う心プラス行動だ。単に感傷的な同情でなく、そ
こに行ないが伴う。彼は、目の前で痛み苦しみ、助けを必要とす
る人に自分に出来る事をした。

関わりたくないと逃げずに、「近寄って」ぶどう酒は消毒用に、
オリーブ油は薬として、惜しげもなく使った。愛するとは、近寄るこ
とだ。自分の家畜を使い、自らの予定を変更し、宿に同行し、更
に一泊し、親身に介護の上、費用も全額負担した。もう至れり尽
くせりだ。愛するとは、犠牲を払う事だ。自らの労力、時間、金銭
を突如の必要のために、彼は惜しまずに献げた。

犠牲を払わずして愛する事は出来ない。そしてその後、彼はきち
んと自分の仕事をするために出かけた。自分の仕事を済ませ、再
び戻り、お世話をした。自分の責任を放って、人の世話するので
はない。又、自分の家族を顧みず、他人の世話にかけずり回る
のは間違っている。自分の責任は果たすべきで、尚且つ、助け
を必要とする人に、自分に出来る事をして行くことだ。

御霊がなすべき事を教えて下さる。御霊の示しがあれば「近寄
って」従おう。祭司とレビ人は関わりたくなくて、避けて逃げた。
自らの何かを献げて、仕える事を、今、示されているなら従おう。
できるように祈ろう。それが主が喜ばれる、隣人になるという事だ。

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主は混乱の神でなく、秩序の神だ。いつも秩序をもって、自分に
できる事を与えて下さる。人に与えるための時間、労力、金銭を、
主が与えて下さる。御霊の示しがあれば、一つ一つ従おう。自分
自身も恵まれ、喜び平安を経験して行く。