2025年09月27日(土) 「今や、彼らは私のいのちを取ろうと、待ち伏せています。 ・・私には、咎がないのに、彼らは走り回り、身を構えてい るのです」詩編59:3
「今や、彼らは私のいのちを取ろうと、待ち伏せています。 ・・私には、咎がないのに、彼らは走り回り、身を構えてい るのです」詩編59:3
ダビデは戦いで連戦連勝で、人々の賞賛を受け人気を博し た。「サウルは千を打ち、ダビデは万を打った」と女性たちが 笑って、繰り返し歌った。サウルのプライドはズタズタで、ダビ デへの激しい嫉妬は憎しみとなった。その憎悪は殺害願望と なり、行動に移した。自らの高ぶりから来る罪だが、一筋に ダビデへ向かい、抹殺したい。 実際、槍を投げつけられ間一髪だった。ダビデは、サウルに 対して何の悪い事もしていない。逆に、忠実に王に仕える素 晴らしく有能な部下だ。罪は、闇へ引きずり込み、どんどん的 をはずし見えなくする。サウルが主に向き、その嫉妬を祈りに 持って行けば、どんなに良かったろう。全権力を持つ一国の王 に太刀打ちなどできるわけがない。 ダビデは、神から油注がれた王に手出しなどできないと、ひた すら逃げまくった。即、幾らでも兵を招集できる王を相手に、ど んなに恐怖だったろう。更に、実子アブシャロムに歯向かわれ、 攻撃され、どんなに心痛だったろう。愛する息子と戦えない。戦 わず、逃げ続ける事で身を守った。 詩篇の様々な箇所で、ダビデは、嘆き、苦しみ、痛み、悲しみ、 怒り・・思いも感情も主に告げて訴えている。なすすべなく、嘆き で心身疲れ果て、涙で、夜毎に寝床をぬらし・・、ああ翼があれ ば、飛び去り休めるのに、遠くへ逃れ荒野に宿りたい・・逃げた いと本音で主と交わっている。その祈りの後が、どの箇所も賛美 に変わっている。ありのまま主のもとへ行こう。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ダビデは、驚くほど本心を主に吐き出し、告げる。試練は受け止 めるべきでは、しかし彼は逃げてしまいたいと。本心を受け止め てもらっている。その後、不思議に賛美と感謝に変わる。自らの 本当の姿を認めて行く時、変えられる。